服の細道

~妻は私の趣味に1ミリタリーとも興味を示さない~

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【エッセイ】私は今まで靴のシワに対して考えたことがあっただろうか【知らんがな】

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エッセー尾形、私です。

 

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発端はもでぃふぁいどさんのこちらの記事、ジョンロブのフィリップⅡのシワに対して感じたことを綴られています。とても良い…こういうその人が考えること、特に革靴の内容で落ち着いたテンションのエッセイを見られるなんて、この上ない幸せです。

 

皆さんもぜひ読んでみてください。いつもの氏の書き口、というかテンションと違うのでびっくりしますが。で、それを読んだら何か私も触発されまして。革靴の皺入れ、というか皺で1本記事が掛けるのではなかろうかと思うわけです。

 

というわけで、やります。皺入れについて細道が思うこと!氏の書き方になぞらえて、適度な落ち着きと真面目さで!いくぞ!

 

目次

 

 

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私にとっての革靴

 

三者三様の表情を見せてくれる

 

大前提に、私にとって革靴は道具であり、同時に道具ではない存在だ。いきなり頓珍漢な発言に面食らったかもしれないが、事実言い表すとしたらこれ以外に表現しようがないのである。

 

まず、どこまで頑張っても革靴を一生履き続けるのは不可能だ。革靴業界の担い手の不足、それに伴う修理できる店舗の縮小、そして何より私自身の老いが考えられる要因である。

 

まだ20代である私がそんな遠い将来の事を考えても仕方ないと思う反面、好きな業界のことだからこそ素人なりに考えてしまう。

 

希少な革であればなおのことである

 

一方で、スニーカー等革靴以外の履物では得られない育てる楽しみがある。もちろん革であり皮ではない、言葉を選ばなければ生きているわけではない。しかし、履くたび、そしてケアするたびに私にしか見せない表情を革靴は見せてくれる

 

つまり、パートナーやペットと同じ家族のような愛情をもって接すれば返してくれるが、その実どこまで頑張っても靴である。鑑賞する気はない、履いてナンボだからだ。すごくすごく不思議な立場にある我が家の革靴達は、靴箱を開けるたびに微笑みかけてくれるようである。

 

 

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皺入れの重要性

 

必要ない、履けばいい

 

そんな革靴に対して、私は皺入れなることを行ったことが無い。一度も、である。そんな私が皺入れに関してどこまで語れるのか。今更ながらテーマ選定を間違えたのではないかと思うが、続けてみようと思う。

 

まず、そもそも皺入れはなぜ行われるのか。それは人間関係における、一種の「断り」だと考えている。パートナーとの同棲を考える際、朝は何時に起きるのか、朝食は食べるのか、何時に家を出て何時に帰ってくるのか、それは直帰なのか寄り道もあるのか、お風呂は夕食より前なのか後なのか…それらの「私はこういうことをあなたに求めます」という断りを入れる行為に近いのではないか

 



 

皺入れをする多くの人が「私はあなた(靴)にこういう皺を求めます」と伝える。その皺通りにクセ付いてくれれば嬉しいし、もでぃふぁいど氏のように予期せぬ皺が入ると(うぅーん…)と少し心にささくれが生まれる。そんなコミュニケーションと呼ぶには、やや一方的な行いが皺入れである

 

ここに、私が皺入れを好まない、というかしたことのない理由がある。何度も言うが、革靴は道具だ。歩きやすく、そして理想的な面構えに矯正することは何らおかしなことではない。屈曲しづらいと感じれば屈伸を何度も行い曲がりやすく矯正すればいいし、レザーソールが気に入らなければラバーを貼ればいい。

 

が、私にとって革靴は道具であると同時に相棒だ。一生は無理にしても、10数年は付き合って欲しいと思う大事なパートナーなのだ。痛いのはもちろん嫌だが、見映えまでこちらの想いに付き合わせることが本当に正しいのか。それが例えビジネスシーンであろうとも、ジョンロブやG&Gのような超一級紳士靴でも、だ。

 

 

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思い通りの皺にならないことは悪なのか

 

足に合いさえすれば、靴に愛さえあれば

 

確かに、皺入れ推奨派の意見も理解はできる。歩きやすくなるし、何より見た目にも美しい。それは間違いのない事実なので、否定するつもりはない。が、皺入れに失敗したくらいで心にささくれは生まれるのだろうか?

 

そもそも革靴に限らず、皮革製品はもともと生きた動物の皮を鞣すことで作られている。生前の動物の生き様が、エイジングにダイレクトに影響してくるのだ。それを面構えの為に矯正し、あまつさえ上手くいかなかったら不機嫌になる…大げさに思われるだろうか。仮に対人のコミュニケーションだった場合、中々どうして地雷ではないだろうか。

 

 

「革靴は一生物です!」「人生の相棒として大事に履いていきます!」といったことを言うなら、その靴がどんな表情をしていようとも愛してあげろよと思う。皺一つでガタガタ言うなら黙ってケアしてあげろと。そもそも、美しい皺の定義は人それぞれだ。その誰かが決めた定規に倣うことが、あなたにとって大事なことなのか。

 

かっこいい靴、素晴らしい革、最高のつくり…それらは結局、履き手であるあなたが決めればいい。自分が美しいと思う皺を施すことは構わないが、それに沿わない皺を忌み嫌うことは革靴好きとして正しい姿なのだろうか?自然にできた皺をどうこう言うことは、その靴と自身の相性の悪さを自覚しているからに他ならないのではないか

 

 

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私は自らの足で皺入れを行う

 

 

自らの足を通し、紐をきちんと締め、一歩一歩踏みしめる。その過程で出来た皺こそ、あなたと革靴の初めての共同作業によって生まれたかけがえのないものだ。もちろん、信念や理想を追い求めてあらかじめ皺入れすることが、悪いことだとは思っていない。

 

ただ、自然に入った皺も愛してあげればそれでいいのだ。歩いている時に不注意でガリッとしたことに悶絶する時間も、ホコリをブラッシングで落とす時間も、ケアしている時にまじまじと靴の細部を見るあのかけがえのない時間も全て愛してあげればいい。

 

 

今日も我が家の革靴達は、三者三様の皺が入った表情を私に見せてくれる。皆さんも、今一度考えてみてほしい。その皺入れ、本当に必要ですか?

 

 

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皺入れ反対のカスエッセイになってしまった

 

今まで皺入れの儀を行わないのは、面倒くさいからだと思っていました。が、文章にしてみるとめっちゃ皺入れの儀を忌み嫌ってますねこいつ(細道)。このくっせぇ空気に耐え切れず最後はいつも通りになってしまいました。

 

とりあえず、私は今後も皺入れをするつもりはナッシン、ありません。そもそも、皺入れするかしないかで、そこまで履き心地変わりますか?その程度の小手先の施術で履き心地を向上させるくらいなら、最初から自分の足に合った靴を買えばいいと思います

 

…全然関係内ですけど、誕生日なんですよ私。完全にアラサーになりました。はぁ~、そんなちょっとした嬉しい日にこんなにジメジメした記事を書くなよと。でもなんかこういうモヤッとしたことを偏見100%なうえに隠さず書くの、好きなのよね。

 

今後はこういうジメッとした記事も書きつつ、いつも通りテン上げな雰囲気で書いていきますね!とりあえずおめでとう!私!革靴買いたい!!!